振り返れば不思議な一週間だった。休日前夜、無目的にふらりと出かけた三浦の海。
俺と同じジュリアに乗っていた父親の娘さんから声を掛けられるなんて。
今日は先日銀座で段取りをつけた撮影に。
康宏の依頼された撮影は午前中に終了。大量のカットフィルムを暗箱に密封し、バイク便を呼んでプロラボへ現像に回す。
撮影機材を片付けながら助手のいないのを悔やむ。まぁ、助手を雇えるほどの収入もないのだけれど。
「エノキドちゃん、お疲れ!」
今回の仕事を世話してくれた河崎が声を掛けてくる。なぜか彼女は自分のことをちゃん付けで呼ぶ。
「お疲れ様でした。ありがとうございました。また宜しくお願いします。」
「いいってことよ、水臭い。これからご帰還?またあの古臭い車で来たの?」「そろそろさ、若い弟子でも取ってやりなさいよ。お互いあまり若くないんだから一人で全部って大変でしょ」
「まぁね、もう少し儲からなきゃ。ろくな給料が払えなくちゃ、弟子もこないでしょ」
再び沢山の荷物をジュリア・スーパーに飲み込ませて自宅へと戻る。仕事でコマーシャル・フォトだけ撮るというのもつまらないので、彼は撮影の合間に自分の「趣味的な」写真をデジタルで撮ることを余技としていた。
仕事ではカラーリバーサルだけど、この「趣味的」な作品はデジタルのほうが色々遊べて都合がいい。
パソコンモニターで見るだけで決して紙焼きするわけではないが、出来れば簡単な個展などが出来たら、と言うのが康宏のささやかな夢だった。
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「母さん、母さんはお父さんの車、あまり好きじゃなかったよね」
沙織は夕飯の片付けをしながら突然彼女の母親に尋ねた。
「どうしたの?突然。そうねもう随分前の話だけれど、あの車にはあまりいい思い出が無いわね。どこで探してきたのかその頃でさえ古い車で、父さんは20代後半だったけど車は15年近く前のものだったわ。そう、父さんが中学から高校に進む頃に作られた車だったそうよ」
沙織は榎戸のジュリア・スーパーのことを話さずに入られなかった。
もしかしてあの車は父の所有していた車かもしれないという変な予感がしたからだった。
「・・私・・・この前シーボニアで父さんのと同じ車を見掛けたの」
さすがに沙織は深夜に誰ともわからない男性とドライブしたことまでは言い出せなかった。
「シーボニア?あぁケンジくんのヨットの留めてあるところね。懐かしいわ油壺なんて。父さんは好きだったのよ。」
「父さんは何か理由があってあの車を買ったの?」沙織はずっと気になっていたこと言葉にした。
「わからないわ。私があまりいい顔をしなかったためか、父さんはそのことについて話をしてくれたことがないの。もっとも私の方だって特別尋ねたこともなかったわね。父さんと二人で始めた西洋骨董の店はとっても忙しかったけれどその分順調で、父さんが買いたい車について私は意見することは出来なかったのよ。でもそのおかげで父さんが他界したあとも私一人で何とかやってこれたし、あなたにも恥ずかしい生活を強いることもせずに済んだの。今はお手伝いの若い店員さんも一生懸命働いてくれてるから有難いわ」
「小さかった私には父さんとのドライブの記憶がとぎれとぎれにしか残っていないの。でも買い付けから帰ってきた次の日には必ず私を車に乗せて出かけてくれたし、色々な話もしてくれたような記憶があるの。夕方に見た相模湾の大海原、子供だったからとっても広大に見えたのでしょうけど、そこに沈んでいくお日様と磯の香り。父さんは私に遠慮してか運転中にタバコを吸うことはなかったけれど、外に出ると青い箱のタバコを取り出して火をつけた。この風景が一番記憶に残ってる」
「あなたは"お父さん子"だったものね]
そう言ったあと、沙織の母は少しの間考えこみ、再び口を開いた。しかしそれは沙織が予想もしない驚くべき内容だった。
「沙織、よく聞いて。いい機会だから沙織に話しておくわ。実はね、父さんは飛行機事故で亡くなったんじゃなくて自動車事故で亡くなったの。どうやってあなたに伝えればいいかと悩んだわ。でももう今のあなたになら正直に伝えても大丈夫よね。ごめんね・・・」
何となく話しかけた言葉からまさかこのような話になろうとは、沙織は母親の口から出てくる初めて聞く話をどこか別の世界の話のように聞いていた。
話を聞いて思い出した。ある日学校から帰ってくると、父の車が忽然と消えていた時のことを沙織は思い出したのだ。
ジュリア・スーパーがこの家からいなくなったことと父親が飛行機事故で亡くなったことがどうして同時に起こったのかは、その時別に不思議な感情は沸かなかったし、ずっと忘れていた。
葬儀の時、親戚のおばさんやおじさんから私のことを不憫に思う言葉を掛けられても、仏壇に位牌が祀られても、空虚な気持ちにしかならなかったけれど、父との思い出が詰まったあの四角い白い車が自分の家から無くなった事実は、本当に父を失ったんだという実感を与えてくれた。そのことだけは強烈に覚えていた。
「遠い国での事故ならば、あなたも諦めがつくと思ったのよ。でも自分の生活している近くに父親の亡くなった現場があるというのは、あなたを余計に苦しめるだけじゃないかって」
今回母親はその場所も教えてくれた。そして事故は父親の過失は限りなくゼロで、一方的な貰い事故だったことも。
母親はまた、自分があまりあの車のことを好きになれなかったことで父さんに不幸を呼び込んでしまったのではないかと長い間悩み続けていたことも打ち明けてくれた。
「もしかしたら父さんの車かもって思っていたんだけれど、今の話からその可能性は無くなったわね。残念だけど」
いろいろな言葉がよぎったけれど、沙織はそれだけ言うと自分の部屋に戻った。
夜具に着替える気持ちにもなれず、その夜沙織はしばらくまんじりともせず、様々な思いを巡らせていた。
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「こんばんは」金曜の夕方、シーボニアの駐車場で沙織は再び康宏に会った。
もちろん偶然ではなくショートメールで連絡を取ってのことだった。
榎戸はこの歳になって知り合った若い女性とふたりきりで会うなんてどうかしているとも思うのだが、彼女と俺とは親子ほどの年齢差であることが彼の気を楽にした。
どう間違っても変な気持ちにならずに済む。そう思えばこれも新しい小さなイベントのような面白さが持てる。それに今回は自分の方から彼女に伝えることもあった。
「失礼します」沙織がそう声を掛け助手席に乗り込むと、この前と同じコロンの香りが車内に広がった。それは決して尖った香りではなく、かと言って甘すぎることもなく、聡明で快活な彼女によく似合っていた。
「トップノートはどうなんだろう」と康宏は思わず思いを巡らしたが、彼女のコロンのトップノートを知るような状況になるはずもなく、そんな自分に苦笑いを浮かべた。
二人は暫く海岸線を走り、西に傾いた太陽が沈む頃、葉山の日影茶屋で食事をすることになり、話題はいつしか彼女の父親の事になった。
「・・・そうだったんだ。お気の毒にね。でも俺の車はサオリさんの記憶の中の車じゃないってことは、俺はわかっていたけどね。これはイギリスの業者から買った車だからさ。俺ももう若くないだろ?左ハンドルは不便でね。右折で待っている時とか大きな車が前にいる時とか、やっぱり右ハンドルのほうが都合がいい。ペダルレイアウトは良くないけどね」
「なんだかもう随分昔の事のようで、父が飛行機事故で無くなったのか自動車事故で無くなったのかは私にとって大した問題でもないような気分です。中学・高校・大学と母親と二人で過ごしていましたから、父親がいないことはもう当たり前ですし」
「実は俺もさ、サオリさんに報告があるんだよ。驚いちゃダメだぜ。俺の実家は栃木なんだけど、サオリさんのお母さんももしかして栃木じゃない?この前同窓会の連絡があって旧友と電話で話したんだけど、どうやらサオリさんのお母さんは俺らの後輩らしいんだ。東京に出て結婚して西洋古美術を商売にして、途中事故でご主人を亡くした。俺はずっとこっちに居たから知らなかったんだけど、そんな話題は田舎じゃすぐ広がる。おそらく旧姓は坂田さんていう苗字じゃないかい?」
こんなことがどうして起こるのだろう。間違いない、母は榎戸さんの後輩だ。
沙織は不思議な出会いと不思議な縁に目眩を覚えた。
そして思う。いったいなぜこんなに急激に自分の身の回りで色々なことが起きるのだろう。父の事、母の事そして私の大事なジュリア・スーパーとジタンの香り。
考えてみれば榎戸さんのジュリア・スーパーに出会って、ここ十年間の秘密が次々と明らかになっていく。私はこのまま榎戸さんとお付き合いしていて良いのだろうか。もしかしたら私が予想もしなかったことがこの先に待ち受けているんじゃないだろうか。
沙織は自分の前に黒々とした大きな不安が広がっていくような不思議な感覚を覚えていた。
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はい!第四話はここまで。
人はいつか親元を離れて、自分の世界を作らなくては行けない時を迎えます。
沙織はそろそろその時期を迎えることになるのでしょうか。
そして彼女の母親と康宏は再開するのか?
波乱の中、第五話で完結です!!ご期待ください。また明日(^.^)/~~~
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以前アップしたアルファを題材にした読み物も、ご興味あればぜひご覧くださいませ。
第一作:1話・2話・3話・4話・5話・6話・ネタばらし(^O^)
第二作:1話・2話・3話・4話
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第四作:1話・2話・3話・4話
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