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富岡製糸工場とシルク号

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この6月、群馬県にある富岡製糸工場が世界遺産に正式登録がほぼ確定したとのことです。

世界文化遺産への登録を目指している群馬県の「富岡製糸場」について、ユネスコの諮問機関は「世界遺産に登録することがふさわしい」とする勧告をまとめ、ことし6月にも世界遺産に登録される見通しとなりました。
(4月26日付けNHK NEWSwebより引用:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140426/k10014047271000.html)

昨年の富士山及び三保の松原の世界遺産登録に続き、今度は我が国の近代化に寄与した功績と高いレベルで建築物や什器備品が保全されていることへの評価が高かったようです。
本当に喜ばしく光栄な事です。



世界遺産登録がほぼ確定してから、富岡製糸工場の歴史についてはテレビのニュースにも盛んに取り上げられていますので敢えて繰り返すことは不要でしょう。
官営(国営)で始まった富岡製糸工場も複数の企業にその経営権を受け継がれて操業してきました。
そしてその中でも1939年(昭和14年)から1987年(昭和62年)までの長きに亘り、その経営を受け持っていたのは当時最大規模の製糸会社、片倉工業株式会社でした。

昭和14年の我が国はといえば軍靴の音が聞こえてきた頃です。当時のパラシュート(落下傘)は絹製でしたので、片倉工業は戦争終結までパラシュートを主に製造していたとのことです。
もっとも片倉工業は業種を広く展開し大戦中は航空機産業も手がけ、隼やゼロ戦の機体の製造も行なっていました。
絹織物と戦闘機とは畑違いな感もしますが、これはオートメーションという、当時の工業生産における一番新しい概念が既に製糸工場で実現できており、その運用に普遍的な価値を持っていたことの証です。片倉工業のみならず、近江絹糸もそれらの航空機製造を行なっていたこともその好例でしょう。

自動車においてもトヨタの発祥が豊田自動織機を母体としているということも面白い史実です。
きっと大量生産という概念とそれを管理運営する手法が無くては、当時我が国最大の産業の一つであった紡績業や織物業などは生産性の向上や高い品質管理など望めなかったはずです。
そのため日本の繊維工業は、おそらく当時の機械工業よりずっと早く大量生産によるメリットを理解し享受できていたんだと考えます。
豊田自動織機製作所も片倉工業も、そして近江絹糸も紡績業の高効率化を実現し、大量生産という我が国の工業の近代化への道を切り開いたパイオニアだったと思わざるを得ません。



実は私にとって片倉工業は身近に感じる会社でもありました。
それは片倉自転車工業株式会社という、競技用自転車とスポーツ自転車を製造販売する会社がそのグループ企業のひとつだったからです。
富岡製糸工場は軍需工場であったものの空襲による被害は皆無でした。
しかし終戦後の不況の中、会社は航空機産業で培った技術を以って自転車とオートバイを製造する「片倉自転車工業株式会社」を1945年、東京の福生市に設立させました。
東京の都下、立川市には競輪場がありますが私の生まれた八王子市にも戦後の復興を目的に競輪場があったんです。
現在の八王子市民体育館がある富士森公園の陸上トラックこそ、かつての八王子競輪場跡なのです。
もっとも草競馬のような草競輪で(そんな言葉はありませんが)舗装されてもおらず、コーナーはバンク(傾斜)もない平面トラックだったそうです。
平面のコーナーでは落車やコースアウトするピスト(競輪用自転車)が多かったと聞いています。聞いた相手は私の父親です。

我が家は3代続いた左官業だったのですが、戦後の復興で建設業が活況を呈するまでには、敗戦から少々時間が必要だったようです。
兵役を除され復員し、家業の左官業を父(私の祖父)と始めたものの、物資の欠乏と物流の不備は如何ともしがたく、父親は余技で競輪選手の真似事を始めたと聞いています。
その頃の選手の憧れは東京の本郷にあった土屋製作所の「エベレスト」。当時は「エバレスト」とか「エバ」などと呼んでいたそうで、父もエバと呼んでいました。
土屋製作所の創業は1905年、つまり明治38年創業という老舗です。

※八王子の競輪場についてはWeb上には殆ど資料がありません。詳しくご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご享受下さいませ。



イタリアの名車、チネリのヘッドマークを彷彿とさせるエバレストのそれ。チネリは64年の東京オリンピックで、その完成度の高さをして日本人を驚かせしめたとのことです。

しかしエバレストはあまりに高価。草レースに出るような身分のものが買えるはずもなく、父親は片倉の自転車を購入したそうです。
母体は絹織物の会社というわけで「シルク号」というのが商標でした。
そしてシルク号は戦前からの歴史あるメーカー富士自転車と競い、東京オリンピックの日本ロードレースチームのマシンとして登用されました。



これは随分時代が下がって、私が中学~高校の頃のシルク・ピストのカタログ写真です。
シルク号の特徴は2枚肩のフォーククラウンでした。ピスト競技用のフロントフォークには珍しくはなかったのですが、カタログモデルでラインナップしているというのは矢張り稀な仕様です。
その前に、純競技用のピストバイクをカタログモデルで販売すること自体が片倉自転車工業という会社の何たるかを如実に表しています。


フォーククラウンが2枚の鋼板で出来ているのがお判りいただけると思います。

父親と縁のあったシルク号でしたが、ついぞ私は入手せずに終わってしまいました。
入手できるチャンスは2度ほどあったのですが、今でもとても残念に思っています。
先日アップした街乗りのライトロードスターをオーダーする際に、フロントフォークを極力潰さずに(平たくせず)サイドビューが細い線の前フォークにしたかったんです。
ご主人に相談したところ、使うタイヤの幅さえ気をつければ丸フォーク(ピスト用の真円チューブ)でも行けるとのお答え。
ということはフォーククラウンにピスト用の2枚肩が使えるという事になるわけで、これはもう念願叶って2枚肩以外の選択はありませんでした。
この写真が私のライトロードスターのフォーククラウン周辺です。



少々自転車に詳しい方のためにご説明すると、リムはスーパーチャンピオンの27インチ(700Cではありません)、マッドガードはブルーメルのクラブスペシャル(黒)、ヘッド小物はストロングライトのV4、ブレーキ本体はカンパニョロのグランスポーツ(ノーマルアーチ)、ラグはハンドカットのコンチネンタル、フレームチューブはレイノルズ531(丸フォーク)、肩は同じくレイノルズの2枚肩でメッキを施してもらいました。
これは中学生の頃憧れたシルク号へのオマージュという意味もあり、また戦前のイギリス自転車の現代語訳という両側面でこの自転車をオーダーする際の大事な部分でした。

福生市の五日市線、熊川駅の近くに片倉シルクの自転車工場があったのですが、今は整地されフェンスに囲まれてしまい、往時の面影は全く窺い知る事はできません。
工場の移転は1989年でしたので既に四半世紀の時が過ぎてしまったんですね。
富岡製糸工場の世界遺産登録のニュースを目にして、昨日は様々な思い出とシルク号との縁について想いを巡らせ、こんな駄文を晒すこととなりました。

三井から経営権を譲り受け、生産性を飛躍的に向上させ、絹織物の品質管理を生産管理というシステムを用い、大量生産を具現化した片倉工業の偉大さは日本の工業史に挙げるべき一節です。
長野県の岡谷市を、その発祥の礎とする片倉工業株式会社。
精密機械工業で有名な岡谷市であることは偶然ではないと思います。

歴史を知ることで先人達の苦労と努力、そして叡智を知る事ができますね。
富岡製糸工場、世界遺産登録おめでとうございます! また明日(^.^)/~~~


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