何だか今日一日の労働時間(およそ11時間半)は5~6時間くらいだったかのような気が。
忙しい自慢をするわけではないけれど、何だか気がついたらもう18時を回っていた。
朝一番でお問い合わせの電話を受けました。
埼玉の秩父から自分で運転して見えるとのことで、こちらの所在地を電話で質問されました。
電話で道路名や信号の表示名などを伝えて説明するものの、理解できていないことは明々白々。
先方の車にカーナビは無く自宅にFAXも無いという。それでは恐らく辿りつけないことは明らかですが、大丈夫だと、分かったとのこと。
近くまで来たら電話をくださいとお願いし、電話を置く。この時点で10時前。
秩父といえばセメントの産出。これは有名な武甲山
午後から営業で外回りをするのに必要な書類とパンフレットを45部程作り、その後新規ご入居者の通院介助。
中程度の認知症のためお一人での通院は難しい。もちろん医療機関で受付した後はそちらのサービスで誘導や声掛け、更衣などはお願いするわけで。
その間に上司のところへ出向き打ち合わせ。50分ほど後に診療所から診察終了の電話が入る。すぐさま戻り支払いのお手伝いをし、その後処方箋を持って薬局へ。
業務車両で事業所ヘ戻りご利用者を食堂へ誘導。
すでにお昼ごはんは始まっていて自分も食事を取ろうとするが、朝一番で電話をくれた方から「やはり迷ってわからない」という電話をもらう。
埒が明かないので近くのファミレスの駐車場に停めてくれれば迎えに行くと言って取り敢えず飯にする。
半分も食べないうちに電話が鳴り「着いたから迎えに来い」と。
食事を済ませた同僚が見るに見かねて「私が行くから食事してください」と迎えに行ってくれた。この時点で12時45分。
さてそれからが長い話に付き合わされるはめに。
最初から横柄な語り口調だったので、まずは戦時中の話(その方は昭和10年生まれ)で探りを入れる。
もともと氏の生家は栃木とのことを聞き、富岡製糸工場が戦時中は落下傘の生産を行うも、空襲を免れたために世界遺産に登録できたこと、それには片倉製糸の尽力あってのことだが、この近所の熊川というところにも片倉製糸があったことを伝え、これは何かのご縁かと無理やりこじつけてみたり。
明治期の絵葉書に現された富岡製糸工場
また私の実家の八王子は、やはり絹織物の街だったため落下傘も生産しているとともに中央線・横浜線・八高線が乗り入れる軍事物資補給のための要所だということで、終戦の直前8月2日に大空襲を受けたことを告げると「よくいろいろなことを勉強されている」と満更でもない笑顔。
嵩にかかって「八王子の大空襲で使用された爆弾の総トン数は1,600キロ。東京大空襲でも1,800トン弱ですから、如何に八王子の空襲が酷かったか」と付け加えると「儂は戦争が終わった時に小学校4年生。戦後の日本の復興と経済力の発展に人生を費やした世代だ」とおっしゃる。
調子の良い私は「その通りです。ですから今80歳になろうとする世代の方々にはのんびりと、でも充実した時間をお過ごしいただきたいんです。それが岩戸景気の頃に生まれた私達の仕事でもあるんです」などと付け加える。
いや決して口からでまかせの言葉ではなく、こういう仕事をしている自分の本音でもあるんです。
父はすでに他界しましたが大正14年生まれでした。戦争体験の終わりの方の世代でしたが、やはり戦後の日本の復興と経済の発展に寄与していたと思っています。
1945年8月1日にアメリカ軍から撒かれた戦意喪失目的のビラ。八王子も標的になっていることが記載されています。
・・・・・午後から営業に出かけなくてはいけなかったのが徐々に遅れだします。この時点で15時前。
お相手の心が落ち着いてきて、ざっくばらんな話ができるようになった頃を見計らって、同僚に事業所ご利用の詳細な説明と見学の対応を委ねました。
さて近隣の介護老人保健施設の相談員さんへ営業に行かなくてはいけません。
時間的に余裕が無いので事業所の車は使えず156で出かけることに。
スマホをカーナビにして5つの老健へ。
いちいちアポイントメントを取ってから、などとやってるとスケジュールが果てしなく長くなりますので飛び込みで。
私どものようなサービス付き高齢者向け住宅が、老健ご利用者で在宅復帰を願うご利用者若しくはご家族のお手伝いになれればと「得意な話術」でご挨拶。
短期入所生活介護もあり、通所介護事業所も併設していること、そして訪問介護と居宅介護支援事業は平成12年からの経験値がある旨も説明し、医療支援も限定的ではあるものの提供できると「仕組みの安心感と便利さ」を強調します。
入所の判定会議や外出してしまっている相談員さんもありましたが、そうであれば施設ケアマネに繋いでもらい用意したパンフレットと資料をお見せしながらの営業です。
近隣の自治体を156でぶっ飛ばしながら(時間がない)スマホに目的地を入力し向かいます。最後の施設をでたのが18時前。
コンビニでコーヒーを買ってついでにトイレも借り、自分の事業所へ電話を入れます。
18時半過ぎには戻れると伝えて再び車中の人に。
戻って上司に電話で報告を行っていると、3階の入居者様からコールが。
「先程から胸が苦しくて血圧を測ったら上が197、下が109だ。病院に行きたいんだが・・・」とのこと。
いつも夕飯が遅めの方でしたので18時過ぎても降りて来なくても不思議な気にはならなかったんですが、そういうことだったようで。
「いや○○さん。救急車を要請しますから楽な姿勢にしてお待ちください」と返答。
すぐに職員を居室へ向かわせて私は119番で救急車の要請をし、続いてキーパーソンである長女さんへ電話を掛けます。
診療情報提供書、緊急連絡先、延命措置の同意書、委任状など一式をコピーして救急隊を待ちます。
ほどなく救急隊が到着、事情を説明し搬送先の病院を聴く。
かかりつけの病院が受け入れをしてくれることになり、娘さんにそちらへ向かってくださいと電話連絡。この時点で19時少し前。
認知もなく介護認定も受けていらっしゃらないお元気で入居者からは慕われているリーダーシップのある男性です。心配でなりません。
その後19時半ころご本人から「戻れる」との電話を受け一安心。
もともと17日にはかかりつけの病院でひと通りの検査を行う予定になっていたことが受け入れをスムーズにできたようでした。
今回の体調の変化は肺の機能低下が直接の原因で、以前に心臓の手術もなさっていることで血中飽和酸素濃度(SPO2)の低下によるものだったようです。
SPO2の低下により体が(脳が)要求する酸素量が欠乏し、その結果拍動数を増やすことで補正をし、それが過大な血流を引き起こし血圧の上昇と胸の息苦しさと痛みを招いたようでうです。
電話を置き、無事平静になりお戻りになれることを従業員に報告して安堵の溜息をつく。
この時点で19時45分。
さて後は宿直の方にお願いして帰りましょう。上司にも無事を連絡して156に乗り込みます。
ま~なんとも時間に追われる一日だった。こんなことブログに書いても面白く無いかなぁ。
ま、でもたまには私の日常をだらだらと書き連ねるのも、それもまた一興かも。
そして今は21時30分・・・・・また明日(^_^)/~~~
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